ベトナム出張 ベトナム・ユネスコ協会連盟を表敬訪問

2012年8月14日(火)、センター長及び副センター長がベトナムのハノイへ出張し、ベトナム・ユネスコ協会連盟本部(VFUA: Vietnam Federation of UNESCO Associations)を表敬訪問しました。VFUAは現在、世界ユネスコ協会クラブ・センター連盟(WFUCA: World Federation of UNESCO Clubs, Centres and Associations)の事務局も務めています。

左から、Mr. Tran Van Manh VFUA事務担当次長、副センター長、Mr. Thang会長、センター長、Ms. Le Thi Hoang Anh渉外担当次長

左から、Mr. Tran Van Manh VFUA事務担当次長、副センター長、Mr. Thang会長、センター長、Ms. Le Thi Hoang Anh渉外担当次長


ユネスコ協会連盟の役割は、国内に散在する地域ユネスコ協会やユネスコ・クラブなどの取りまとめと全国規模でのイベント開催等です。現在、ベトナムではユネスコ協会への個人会員が全体で7500人、各種イベント参加者15万人に上り、世界でも屈指の規模を誇るユネスコ団体です。

今回は、会長(President)のMr. Nguyen Xuan Thangにお会いすることができました。VFUAは1993年にベトナムで唯一、首相直々の決定により設立されたNGOで、ベトナム外務省傘下で後援を受けております。元々のオフィスは外務省内にありましたが、6年ほど前に市街地からは少しだけ離れた現在のビルに移動されました。過去にはユネスコ加盟国であればどの国にもあるユネスコ国内員会の事務局長も務めておられ、外務省や内務省のほか、教育省、文化省、科学技術省、情報省など、ユネスコのカバーするおよそ全ての範囲で幅広い人脈をお持ちです。

JSPSの事業紹介を行ったところ、会員には大学関係者も非常に多いということで、極めて積極的に細かな質問をされた上で、ユネスコ協会を通じた広報活動を約束いただきました。

前日13日には、ハノイの一流大学であるハノイ科学技術大学(Hanoi University of Science and Technology)にお勤めのDr. Truongより直々に、ベトナムにおけるJSPSの存在感のなさや情報不足ぶりを伝えられていたことから、7000人規模の団体を通じてJSPSの情報が伝えられることは非常に大きな前進であると確信しています。

また、こちらからの提案を待たずに先方より、ユネスコのネットワークを使っての大学関係者への直接のガイダンスを実施することをご提案いただきました。これは願ってもないチャンスです。我々としては是非にでも実施したいと考えております。

さて、ユネスコというと世界遺産や識字教育、いわゆる(初等)教育と文化が想起され、JSPSが対象とする高等教育や博士研究者とはターゲットが異なるのではないか、という懸念が生じます。

しかしながら、現在のベトナムの状況は必ずしもそうではありません。

日本でユネスコ活動が本格的に始まったのは1940年代後半から50年代にかけてです。終戦2年後には仙台で最初のユネスコ団体が設立され、その4年後の1951年に日本が正式にユネスコに加盟しました。国連加盟に先立つこと5年です。

これら動きの原動力は何だったのか。それは第2次大戦下で学問の無力を痛感した学者たちが深い反省にたち、教育という武器で平和を作ろうとした、平和への意思でした。ユネスコは単なる教育文化機関ではなく、平和のための教育文化を理念にもつ機関なのです。

さて、そこでベトナムですが、ベトナムでは1960年から1975年まで15年に渡ってベトナム戦争が続き、一説ではその間に国内の歴史的・伝統的建築物の90パーセント以上が破壊され、100万人以上の死者を出しました。そこには共産主義や資本主義、自由主義や社会主義といったイデオロギーの問題もはらんでおり、戦後40年を迎える今も、単にアジアの進行経済国というだけの顔を持っているわけではありません。

これら状況をかんがみると、Mr. Thang会長の言質とは別に、ベトナムのユネスコ協会に現在も大学関係者が多く所属していることは想像に難くありません。そして、ユネスコ協会連盟と連携することで、ベトナム研究者がJSPS事業を通じてベトナムの再興に貢献することになれば、それは素晴らしいことであると、当センターでは考えております。

緑が美しい連盟建物

緑が美しい連盟建物